みかんでつながる「ちぎりんぼ一家」

みかん農園 ちぎりんぼ一家3代目

秋山  隆哉さん

1978年福岡県古賀市出身。祖父の代から続くみかん農園の3代目。

趣味はバイク。休みの日に、愛車のハーレーで仲間とツーリングするのが楽しみ。

ムーミンの木で知られる五所八幡宮にほど近い農園で、みかんをつくる「ちぎりんぼ一家」。古賀界隈ではみかんなどの収穫を「ちぎる」と言うが、ちぎりんぼ一家の語感からは季節の移り変わりに身をまかせ、家族一丸となってみかんを収穫する姿が見えてくるようである。

現在4世代が同居する家の大黒柱として家業を支える隆哉さん。幼少期からの自然な流れで「自分もいつか農業をやる」という気持ちになっていたとか。娘さんも将来を見据え農業大学校に通うなど、事業承継って難しいよね云々と叫ばれる昨今において、ちぎりんぼ一家の姿は一つの理想に見える。

なぜ秋山さんご一家では、家業を手伝おう、継ごうと下の世代が自然と思うようになるのか。

ご家族のこと、みかん作りやみかん豆知識などについて、ざっくばらんにインタビューにこたえていただきました。コガゴロスタッフがお届けする、たわわに実った読みごろインタビュー「コガゴロVOICE」第一弾をどうぞ!

ーまずは事業内容をお聞かせください。

私たち家族は、みかんを中心に、すもも、スイーツコーン、いちじくなどを栽培しコスモス広場に出荷しています。また農協を通してケールの出荷もしています。あとは少ないですがいちじくやすもものジャムをコスモス広場に出したりもしています。

デコポンを栽培中のハウス

ケール畑

ー家族経営の農園ということになるかと思いますが、 何歳ごろから家業を継ごうと思われたのでしょうか?

中学生くらいの時にはもう既に農業をするんだという気持ちになっていました。思い返せば保育園の時くらいから父の後を継ぐんだという気持ちは徐々に自然な形で育まれていたように思います。「人と違うことがしたい」という考えもあって、農業を選んだというところもありますね。高校で進路を考える際に、みかんの試験場がある長崎か静岡の農業大学校に行こうと思っていたのですが、行き違いがあって、なぜか福岡の農業大学校の資料が届き、まあ地元だし福岡でいいか、ということで福岡の学校に進学しました。その行き違いがあったからこそ、福岡の農業大学校で妻と知り合えたのですが(笑)。大学校を卒業後、静岡で1年間住み込みで働いて、それから福岡に戻って家族を手伝い始めました。

ー作っているのはみかんが中心だということですが、秋山さんのご家族はいつ頃からみかん作りをするようになったのでしょうか?

私の祖父の代から宗像の山を切り拓いてみかん作りを始めたとのことです。宗像と古賀の2拠点で作っているのですが、宗像は近いとはいえ往復に1時間ほどかかってしまい大変なので、時代の流れとともに家がある古賀での栽培がメインになるようになりました。

ー家族経営における家族間のコミュニケーションで心がけていることなどはありますか?

うちではつきっきりで仕事を教えてもらうというようなことはほとんどないんですよね。家族がやっている仕事を少しずつ見て自然と覚えていく感じです。ごく普通の家族のコミュニケーションの延長に農業、みかん作りがあるというイメージです。あとは父もそうですが、私も毎日日記をつけていて、それを見ればどの時期に何をすれば良いかわかるようになっています。

ー毎日日記をつけるとは恐れ入ります…。普通に生活しているとSNSの機能で一年前に何をしていたか知ることはたまにありますが、まあその程度で、改めて振り返ることはほとんどないですからね・・・。 では次に、みかん作りでの苦労話などはありますか?

農業全般に言えることですが、やはり自然や鳥獣被害との戦いという点で苦労は多いです。猪やカラスによる被害があるんですが、彼らは美味しいみかんがわかるので、美味しいのだけ食べていくんですよ。みかんの木は1年おきに木を休ませてあげないと実りが悪いという性質があり、それとの付き合いもありますし、剪定の仕方が実りに影響を与えたりもします。子どもが絵を描くとき木を三角に描きますが、あれって日のあたり具合を考えると実は理にかなった形でもあるんですよ。あと苦労話といえば、みかんの輸入自由化のタイミングで、一級品として出荷したみかんよりもジュース用のみかんの方が高く値がついたというような時期も大変でしたね。ちょうどその頃が、コスモス広場などでの、小売に力を入れていこうという方向へいった時期になります。

隆哉さんの母 裕見子さん

ージュース用のみかんの方が高い値がついたというのには驚きますね。 みかんにもいろんな種類がありますが、特に力を入れている品種はありますか?

ちょうど今(取材時2022年1月)は、不知火(しらぬい)の収穫が近づいている時期です。不知火には力を入れています。年に9トンほどの出荷です。デコポンと不知火は、品種で言えば同じ物になります。デコポンは糖度13度以上酸味数値が1、0以下の基準が定められていて、光センサー付きの選果機を通して基準をクリアしたものだけがデコポンに認定される仕組みです。それ以外は不知火として出荷されます。コスモス広場に出荷する分は光センサーの機械を通していないのですべて不知火としての販売になります。デコポンと不知火以外では極早生(ごくわせ)という秋口に食べられるみかんにも力を入れています。極早生は早くなるかわりに味が薄めなんですが、その極早生の中でも「早味みかん(はやみかん)」という甘くて濃い味のみかんをつくっています。

ーみかんに対する解像度の高さが伺えるご説明ですね。私たち一般人とは見えている世界がやはり違うなと思わされます。他にみかんの豆知識などありましたら教えてください。

みかんって実がしまったものは長持ちしますが、ぶかぶかのものは早く悪くなってしまうんですよ。あとは、なり口(実と枝が繋がっている部分)が小さいみかんの方がより美味しいという特徴もあります。若い枝でゆっくり小さく実ったみかんが美味しいんです。

ーなるほど、みかんを選ぶ時に今後は注意して見ていきたい部分ですね。ありがとうございます。少し農業から離れた話題としまして、趣味などありましたら聞かせてください。

趣味はバイクです。先輩から譲り受けたハーレーに乗ってます。ただ家族経営という人手の事情で、晴れていれば何かしら作業をすることになり、雨の日が休みということになります。だから、なかなか休みの日にバイクで走りにいくということができないんですよね・・・。ということで、仕事を終えて夕方に先輩と少し走りに行ったりするくらいですね。 (古賀のバイク乗り、バイク屋さんの話題で盛り上がる)

ー五所八幡宮が農園からほど近い位置にありますが、神事の際は何かされたりするんでしょうか?

そうですね地元のメンバーと笛を吹いたりしますよ。縦笛も横笛もやったことがあります (ここでひょんなことから、以前隆哉さんが特集された地域情報媒体に掲載されたヨメニコーン改の話へ)

ーあ、ヨメニコーン改が写ってますね。これって誰がやってるんですか?

実は古賀に特産品があまりないというところから、農協でスイーツコーンを推していこうってなった時に、私が発案したのがヨメニコーン改なんです。中の人も基本は私です。私ができない時は某市議さんがやってます(笑)。ヨメニコーン改は日比谷公会堂で賞をもらったりもしたんですよ。

ー(コガゴロスタッフの1人驚き)えーー!!うちの子ども保育園時代にヨメニコーン改のサインを持って帰ってきましたよ(笑)

野菜の直売イベントや幼稚園、保育園に行って、寸劇をしてスイーツコーンを売り込むということをやっています。今はコロナウイルスの蔓延でなかなかできないのですが・・・。ヨメニコーン改のスーツは某市議さんのところにあると思います(笑)。直売イベントである軽トラ市の実行委員もしてますが、コガゴロスタッフのお一方もそちらに参画されてますよね。

ーいや〜驚きました。ヨメニコーン改がみかんを作っていたとは・・・。 (ヨメニコーン改と軽トラ市の話題がはずむ) では最後に今後の展望などについて聞かせてください。

今、長女が農業大学校に通っていて、将来は農業をして直売所をつくりたいと言ってくれています。一緒になって変えられる部分は変えていければと思っています。

隆哉さんの長女 あんじさん

ー継承者がいない、事業承継は難しい、と様々な現場で叫ばれる昨今において、お子様が家業を意識してそこまで言ってくれるとはこれからが楽しみですね。長い時間、ご対応ありがとうございました。

学生時代の隆哉さんもそうでしたが、現在勉学に励む次の世代が自然と家業を意識しているところが印象深く、家業を継続していく上では理想の形ではないかと思えました。その秘訣は何なのか。言葉で伝える、語ることも大事ですが、「こんな風に工夫しておもしろくやっていくんだよ」と背中で見せる姿に、もしかしたら何かヒントがあるのかもしれません。コスモス広場では秋山さんご一家のみかんはもちろん、すもも、スイーツコーン、いちじく、ジャムなどを買うことができます。ぜひ一度、探してみてくださいね!

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