のんびり歩く桜道。船原古墳から谷山川沿いを歩く。

人々の生活と密接な関わりがある桜。全国各地に名所といわれる所があり、福岡県内にも舞鶴公園(福岡市中央区)、勝山公園(北九州市小倉北区)、宇美公園(糟屋郡宇美町)、甘木公園(朝倉市)などがあります。

古賀市内では、清滝橋(薦野)、興山園(米多比)、鹿部山公園(美明1丁目)、古賀グリーンパーク(青柳)、千鳥苑(千鳥3丁目)などが知られていますが、今回は船原古墳がある谷山地区の桜スポットを紹介します。

谷山川沿いの桜道

船原古墳の横には谷山川が流れています。船原古墳から谷山橋を渡り、八幡宮の横を通って谷山集落の中を抜け、谷山川沿いに遡って行くと、古賀ダムの手前に愛鷹神社があります。

この愛鷹神社、「小野村史」には「社前に川あり。古賀村にて海に入る。10月9日の祭礼に鮭魚上り来ることあり。」とあるので、かつてはこの川には豊かな水量があったと思われます。桜並木があるのは、愛鷹神社へ行く途中、谷山川の上流から見て川の流れの左側沿い(左岸)です。

<桜よもやま話>

桜は古くから人々に親しまれています。 カンヒザクラ、オオシマザクラ、ヤマザクラ、ソメイヨシノなどの名前が付けられ、代々受け継がれてきました。

和歌、俳句をはじめ文学全般、音楽や絵画にも、桜は春の象徴、花の代名詞としてよく使われています。 奈良時代の「万葉集」には桜を含む様々な植物が登場します。 当時は中国文化の影響が強く、和歌などで単に「花」といえば唐から伝来したばかりの梅を指していました。

桜の人気が高まったのは平安時代。この時代の歌人紀友則の歌「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花ぞ散るらむ」の「花」は桜を指しています。 この頃から「花」と言えば桜を指すようになったといわれています。

また、古来から桜は穀物の神が宿るとも、稲作神事に関連していたともされていて、全国各地に「田植え桜」や「種まき桜」と呼ばれる木があったそうです。

文化財が多数出土している船原古墳

さて話は船原古墳に戻ります。船原古墳は現在の古賀市では唯一の前方後円墳です。

古賀市谷山の船原古墳

築造されたのは6世紀末から7世紀初頭。盗掘などによって石室内部の副葬品はほとんど残っていませんでしたが、銅地金貼(どうじきんばり)の耳飾や金銅製品(こんどうせいひん)の一部が見つかっています。

古墳の外には、国内で初めて確認された遺物埋納土坑があり、その土坑から国宝級とも重要文化財級ともいわれる金銅製歩揺付飾金具 ( 雲珠 ) 、玉虫装飾の二連三葉文心葉形杏葉やガラス装飾の金銅製雲珠・辻金具の馬具類や被葬者本人が身に着けていたと考えられる竪矧板革綴冑(たてはぎいたかわとじかぶと)などが発見されています。

出土した遺物が国宝や重要文化財に指定されたり、古墳が整備されるまでにはもうしばらく時間がかかるそうです。近い将来に実現すると古賀市民としても誇れるものがまた一つ増えますね。楽しみに待ちましょう。

アクセス

住所:福岡県古賀市谷山

船原古墳広場から谷山川上流桜並木まで歩いて約15分ほどです。のんびり見て回るのにちょうど良い距離ですので是非一度歩いてみてくださいね。

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